9月18日の日記

2006年9月18日
台風一過。
朝から早速、道路清掃車が走る。
対応の早さに頭が下がる。
どこかから、スヌーピーのぬいぐるみが飛んできた。
どうしよう、これ。このマンションの誰かのじゃろか。。

9月14日の日記

2006年9月14日
出張。
出先の新担当へ一日みっちりレクチャー。
こっちのビルに来てもらってもよかったんだけど
ボスが(気分転換も兼ねて)行って来たら?と言ってくれたので。
新担当と言ってもベテランの派遣さんで自分より一回りも年上。
それでもこの分野については自分の方が先輩なので
偉ぶらず、でも伝えるべきことは伝えねば・・・と丁寧に説明。
そういえば、最近(追われるばかりで)こんなふうにじっくりと仕事してなかったなぁ。

夜は、別のベテラン女史と食事。
出張で近くまで行くので相談にのって欲しいと予約していた。
30歳という年齢と立場と仕事との向き合い方について。
ベテラン女史の言葉が背中をバシッと一発叩いてくれた。
「背筋を伸ばして、しゃんとしなさいっ」と。
昇進もないのに責任だけ増す中でどこでモチベーションを保つかとか
派遣やパートを統括しながらガス抜きするにはどうすれば良いかとか
異動でリセットされることの心構えとか、とか・・・
軽く相談に乗ってくれる先輩はうちのビルにもいるけども結婚の話や社内の愚痴にばかり話題が流れてしまって仕事のスタンスとかポジショニングとか真面目な相談に乗ってくれる方は皆無に等しい。。
今日はほんとうに有意義な一日を過ごせた。

明日から、仕切りなおし。

9月9日の日記

2006年9月9日
後輩の結婚式。
昨夜も眠れず、心身ともにボロボロ。
それでも、結婚式を欠席するわけにもいかず、
ドレス着て、メイクして、鉛のような足を引きずりながら会場へ。
見事にネックレスやイヤリングを忘れていることに気づき、
愕然として、壊れて、笑った。
こんなもんよ。今の自分。仕事だけじゃなく冠婚葬祭の儀礼さえままならない。
社会人として失格だなぁ。

9月8日の日記

2006年9月8日
〆日

9月7日の日記

2006年9月7日
午後からボスがパートさん全員を別室に呼んで
『年度末・全員解雇』の正式な申し渡し。
うちのチームの仕事がなくなるわけだから当然。
当然。そう、、、、当然。
ほいでもこの重苦しい職場環境があと半年続くのか。

9月6日の日記

2006年9月6日
あまりの体調の悪さに
午前か午後に半休を取ろうかと思ったけど結局できず。
今週はほとんと眠れず、意識が朦朧として、
ノートPCを床に叩き付けたい気分。

9月3日の日記

2006年9月3日
夕方からLOFTをうろうろ。
LOFTにいると、楽しい。ほんとに楽しい。
会社のそばにハンズがあるんだけど
ハンズより断然ロフトのほうが楽しい。
なんでだろ。お店全体が黄色い内装で統一されてるから
元気をもらえるんだろか?お買い物袋もかわいいし。
今日は、フライパンと蓋を購入。
お買い物以上にエナジーチャージして家に帰った。

9月2日の日記

2006年9月2日
大学の同級と飲んでいて、聖闘士星矢(せいんとせいや)の話になった。
コスモとかなんとかさんざん話した挙句、歳がばれるね・・・と笑った。
小学校の頃だったかなぁ?
“せいんとせいや〜少年はみんな〜せいんとせいやっ、明日の勇者〜おういぇ〜”
ってな主題歌だったと思う。
健保の仕事をしている同級によると
星矢くんっていう男の子の名前をちらほら見るそうで。。
それって、聖闘士星矢からもろうたんじゃろうね〜と皆で納得。
確かに、世代がバレる。

9月1日の日記

2006年9月1日
既婚・子持ちの先輩と、
未婚・マンション持ちの先輩と3人で飲む。
どっちつかずの私にお二人がいろいろとアドバイスをくれる。
正直なところ、今は結婚したくない。
というか、自分のペースを乱されるのが怖い。
鬱病の自分を理解してもらうことは困難だし、
すぐそばにいる人にこころない言葉を浴びせられてしまうのも正直怖い。
ひとりでいれば自分が耐えればよいだけで、傷つけられることもない。
じゃぁ、独身を決め込んでマンションを買うか?と言われれば
この会社でいつまで働いていけるのか自信がないからマンション買う決心もつかない。
先輩方の意見を聞きながら、
ますますどうやって生きていけばええんかわからんくなる。

8月31日の日記

2006年8月31日
後輩を見送る。
結婚おめでとう。

去年の今頃、正直、自分は焦っていた。
30歳までに結婚するには今出会ってもぎりぎりのタイミングだ・・・と。
いまは・・・よろしくない恋愛に舞い戻ってしまったり、一人で生きてくすべを真面目に考えたり、相変わらずの日々。それでも今となっては30までにどうこうする時間もなくようやく開き直って気が楽になってきてるような気がする。

8月23日の日記

2006年8月23日
2年ぶりの一週間を過ごしている。
過干渉もないが、守られてる感もない。
それでもわたしはあの人なしでやっていけそうな気がする。

8月22日の日記

2006年8月22日
食事のメニューを選ぶのにうだうだ時間をかける人間が嫌いだ。
料亭や旅先の二度と来られないようなお店ならまだしも
普段使いの店なら同席の人を待たせることなくさっさと決めちまえ、と思う。
たかだか1,000円前後のメニューのあっちを開いてうなり、こっちを開いてうなり、、、
今回はずれだったらまた来ればいいじゃん。と正直しばきたくなる。

8月21日の日記

2006年8月21日
夏休み明け、初日。
部屋に閉じこもっていた毎日よりも
出勤してるほうが体調が良い。
強制的に出かける理由がないと
ごろごろ・うだうだ過ごしてしまうから
結局、仕事してるほうが自分のためによいんだろう。

8月20日の日記

2006年8月20日
CDTVで90年代の懐かしい曲が流れて癒される。
90年代後半はほんとさんざんだったけど一つ一つの曲を聴いていたら
微笑ましい想い出もたくさんあって少なくとも今より輝いていたように思う。
久しぶりに大学時代の友人にメールした。「今度飲みに行かん?」
親友からすぐに返事が来た。ここ数ヶ月強張っていたこころが溶けだすようだった。

8月18日の日記

2006年8月18日
台風が来るというので、ベランダの物干し竿を部屋に入れ
洗濯機とカバーをガムテープで固定。
直撃ではなさそうだから窓ガラスにまではテープを貼らず。。
あぁ・・・室内洗濯機置き場が欲しい。

8月17日の日記

2006年8月17日
NHKでニート脱出を目指す若者たちの特集をしてた。
彼らは怠け者ではなく完璧癖だから苦しいのかなと思った。
今度こそきちんとせねばという意識が強くて、
それを出来ない(かもしれない)自分を卑下してしまうというか。
.....それって自分と同じだよなぁ。
自分は今かろうじて働いているけれどTVを見る限り彼らと自分との間に人間的な差などなくて、たまたま社会人の第一歩を踏み出せた環境が良かった=職場の人に恵まれたってだけ。(もっともこの数年の間に会社の置かれた状況も社風も変わりすっかり息苦しくなったけど)
もう少し社会や会社やひとりひとりが『人』に優しくなれたらいいのにな、と思う。
自分への戒めも込めて。

8月16日の日記

2006年8月16日
今週は夏休みなんだけど旅に出る気力もなく
結婚をせかされるのが嫌で実家にも帰らず
丸二日、部屋に閉じこもっている。
この人生を(現状も将来も)いちばんどうにかしたいと思っているのは自分自身で
悪戦苦闘して疲れきって、自分の殻に閉じこもるのも自分自身。
もっと器用に生きられたらいいのに、と思う。

8月14日の日記

2006年8月14日
自分は、被爆地に住んでいる。
資料館へも足を運んだ。
だけど・・・まだここだけ『特別』なことを受け入れられない。
一昨年、知覧の特攻平和会館へ行った。
あの戦いは間違いだと言ってしまって良いものか。。。
いや間違いなのかもしれないが
そう言い切ってしまうと散っていったあの人たちへどう説明すれば良いのか。
自分の故郷には米軍基地がある。自衛隊もいる。
自分は戦闘機の爆音の下で育った。
戦争こそ経験していないけれど、米軍機の墜落とか犯罪とか
すぐ傍に見え隠れするリスクと生きてきた。
湾岸戦争もテロとの戦いも他人事ではない。
他国の軍事基地があることは間違いだとはっきり思う。
自衛隊は軍隊だと思う。
だけど、それを認めないこの国。さほど気にしない国民。
いくつもの資料館を訪れたり、『亡国のイージス』を見たり
自分なりに何かを受け止めたいと動いてはみるものの
ますます悶々として考えることを放棄してしまう。
いつまで経っても何もできない、愚かな自分。

8月6日の日記

2006年8月6日
原爆投下から61年目の夏。
だけど・・・まだ素直に祈りを捧げられない。
なぜ、広島・長崎だけ特別なのか?
確かに核爆弾は特別な兵器であるのは間違いない。
被害の惨状も他の爆弾の比ではないというのも頭では理解している。
だけど、うちの地元も終戦の前日(14日)に壊滅的なダメージを受けている。
祖母や、入院中に相部屋だったおばあさんから当時の話を聞いた。
終戦が一日早ければ失われずに済んだ多くの命があった。
ヒロシマ・ナガサキのように毎年メディアで取り上げられる都市がある一方で
うちの地元のように、市民(私の母とか)でさえその被害を知らないという街もある。
その差に、苛立ちを覚える。
自分は団塊ジュニアで完全に部外者のはずなのに、この苛立ちはいったい何なのだろう?

8月5日の日記

2006年8月5日
大混乱の1週間を終え、家でひとり飲んだくれる。
もらったメールに返信する気力もなく、
何度電話がかかっても口を開きたくない誰とも話したくない。
ただ 時が過ぎるのを待つ休日。
食事が喉を通らないわけでもない。
洗濯もするし、部屋の掃除も出来る。
ただ、誰とも関わりたくない。
ひとりで・・・梅酒を飲む。

就職して強くなったのではなく、仮面をかぶるのが上手になっただけ。
学生時代は今で言うパニック障害で電車にさえ乗れない時期もあったけど
今は、とりあえず一週間仕事ができる。
苛立ちの中で仕事をしていても、受話器をとるときは明るめにテンションを上げる。
下手に病院に行っても「しっかり受け答えできる分、大丈夫」と誤認されてしまう。
ほんとは一人で泣いているのに会社モードで診察を受けてしまう。
先日、NHKの女性のうつの第2回放送を見た。
私はひとりで生きてくしかないのだろう、と思った。
こんな私を良いと言ってくれる人は自分より重症のうつの持ち主だった。
こんな私が本気ですきになった人は社会的に許されない人だった。
誰かに頭を撫でてほしいけれど、私はいつかその手を切りつけてしまうに違いない。
“山嵐のジレンマ”

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